長嶋茂雄さんは元プロ野球選手で、東京読売巨人軍の終身名誉監督です。
ミスターやミスタージャイアンツ、チョーさんなどの愛称でも親しまれています。
プロ野球ファンで知らない人は居ないといっても過言ではないですよね。
今回は長嶋茂雄さんの資産や自宅がどこにあるのか、また、嫁(妻)や子供(娘や息子)など家族構成について調査しました。
長嶋茂雄の資産は?
長嶋茂雄さんの資産はどれくらいあるのか気になりますよね。
長嶋茂雄さんはプロ野球選手として長年ご活躍されたことは有名ですよね。
まずはプロ野球選手時代の年俸について調査しました。
長嶋茂雄さんのプロ野球選手時代の年俸
長嶋茂雄さんは東京六大学野球の名門である立教大学から、スーパースターとして1958年に鳴り物入りで読売ジャイアンツに入団しています。
その際の契約金は、なんと当時の最高額と噂されている1,800万円だったそうです。
当時のサラリーマンの平均月収が約1万6,000円だったことを考えると、超破格での契約だったことがわかりますね。
長嶋茂雄さんは入団1年目から活躍され、それ以降も毎年異次元の活躍を続けています。
現役時代の各年度の年俸推移をまとめました。
年度 | 年齢 | 年俸 |
1958 | 22歳 | 180万円 |
1959 | 23歳 | 360万円 |
1960 | 24歳 | 720万円 |
1961 | 25歳 | 960万円 |
1962 | 26歳 | 1,000万円 |
1963 | 27歳 | 1,000万円 |
1964 | 28歳 | 1,400万円 |
1965 | 29歳 | 1,800万円 |
1966 | 30歳 | 3,200万円 |
1967 | 31歳 | 3,200万円 |
1968 | 32歳 | 4,140万円 |
1969 | 33歳 | 4,560万円 |
1970 | 34歳 | 4,560万円 |
1971 | 35歳 | 4,920万円 |
1972 | 36歳 | 4,920万円 |
1973 | 37歳 | 4,920万円 |
年俸の金額だけを見ると、現代のプロ野球選手の年俸(数億円)から比べると、かなり安い!と感じる方が多いかもしれませんが、
現代のドラフト1位で入団する大卒1年目の選手は、最高年俸が1,600万円です。
当時の長嶋茂雄さんの1年目の年俸が180万円ということを考えると、当時の金額を現在の年俸に換算すると約10倍と推定できますね。
そうすると各年度の年俸に0を1つずつ足していくと以下のようになります。
年度 | 年齢 | 年俸 |
1958 | 22歳 | 1,800万円 |
1959 | 23歳 | 3,600万円 |
1960 | 24歳 | 7,200万円 |
1961 | 25歳 | 9,600万円 |
1962 | 26歳 | 1億円 |
1963 | 27歳 | 1億円 |
1964 | 28歳 | 1億4,000万円 |
1965 | 29歳 | 1億8,000万円 |
1966 | 30歳 | 3億2,000万円 |
1967 | 31歳 | 3億2,000万円 |
1968 | 32歳 | 4億1,400万円 |
1969 | 33歳 | 4億5,600万円 |
1970 | 34歳 | 4億5,600万円 |
1971 | 35歳 | 4億9,200万円 |
1972 | 36歳 | 4億9,200万円 |
1973 | 37歳 | 4億9,200万円 |
現代の貨幣価値に換算した場合の年俸を合算すると、41億8,100万円と算出されます。
あくまでも推計ですが、とてもすごい金額ですよね。
当時の貨幣価値が実際にはどれくらいかわからないため、単純な比較はできませんが、もしかしたら当時の貨幣価値はもっと低かったかもしれませんので、それを考えるととてもすごい金額ですよね。
現在の年収
現役を引退後も巨人で監督を務めるなど、長年プロ野球界に貢献してしてきており、セコムなどのCMなどでも起用されていました。
監督の年俸やCMの契約金などで、年間数億円はあったと思われます。
現在は読売巨人の終身名誉監督および株式会社読売巨人軍専務取締役を務めており、その報酬は年間約1億円という情報もあります。
その他、『長嶋茂雄』という名前で商標が登録されているため、長嶋茂雄という名前が入ったグッズなどの収益が入っているのは間違いありません。
報酬や収益で毎年数億円は入っている可能性は十分にありますよね。
保有している主な資産
資産としては、田園調布のご自宅など不動産を中心に保有しており、その金額は約17億円という情報もあります。
- ご自宅(東京都大田区田園調布):6億3,600万円
- 賃貸マンション(東京都世田谷区):5億2,400万円
- 借家(東京都大田区田園調布):3億5,000万円
- 賃貸マンション(東京都大田区):1億6,900万円
- 別荘(神奈川県箱根町):3,100万円
他にも不動産等を所有している可能性はあるため、最低でも数十億円以上の資産はありそうですね。
長嶋茂雄の自宅はどこ?
長嶋茂雄さんは現在、『田園調布』に住んでいるという情報がありました。
<田園調布の場所>
田園調布は東京都の高級住宅街として知られており、芸能人やスポーツ選手など著名人が多く住んでいることで有名ですよね。
長嶋茂雄さんのご自宅は東京都大田区田園調布の3丁目あたりにあるそうです。
さらに詳しく調べると、ご自宅は長嶋茂雄さんの次女である長島三奈(ながしまみな)さんが代表取締役社長を務める『株式会社オフィスエヌ』の事務所を兼ねていることがわかりました。
株式会社オフィスエヌの住所を調べると、
『東京都大田区田園調布3丁目29番19号』
ということがわかりました。
最寄り駅の『田園調布駅』からは徒歩で約15分の場所に位置しており、その住所をgoogleマップのストリートビューで調査すると、おそらく長嶋茂雄さんの自宅と思われる家が映りました。
豪邸という言葉が相応しい家ですよね。
この長嶋茂雄さんのご自宅のお値段は、なんと6億3,600万円だそうです。
地上2階、地下1階の建物で、敷地面積は590m2の豪邸です。
高級住宅街の中でもひときわ目立つ建物なので、場所は特定されているようですね。
長嶋茂雄さんのご自宅の近くには、同じくプロ野球(ヤクルトスワローズなど)でご活躍され、阪神タイガースや楽天イーグルスでも監督を務められた野村克也さんも住んでいたことがあるようです。
その他、日本の国際政治家としてもご活躍された緒方貞子さんなどもご近所に住んでいたという情報もありました。
かつて大手町の読売新聞の傍にプロミス本社があり、ビルの裏は将門の首塚で、ビル内の子会社のGCカードを来夢は買収しました。その頃は吉祥寺に住んでたんだけど、休日に初めて田園調布の長嶋茂雄宅を見に行ったんだけど、いま『徹子の部屋45周年』を見ていて、長嶋宅の隣が緒方貞子宅と知ってびっくり
— 💯天才夢来山 来夢ちゃん 雪組 (@mukuraimu1) June 5, 2021
長嶋茂雄の嫁(妻)や子供(娘や息子)など家族構成は?
長嶋茂雄さんの家族構成(嫁や子供)について紹介していきます。
長嶋茂雄の嫁(妻)
まずは、長嶋茂雄さんの奥さんについて紹介します。
お名前は『長嶋亜希子(ながしまあきこ)』さんです(旧姓は西村さん)。
1943年1月5日に東京都渋谷区でお生まれになって、田園調布雙葉中学校に通い、高校はそのまま田園調布雙葉高等学校に進学されています。
田園調布雙葉高等学校在学中には、米国に留学するなど、お嬢様だったと思われます。
留学後、米国現地の高校を卒業し、ミネソタ州聖テレサ大学をご卒業されています。
英語とフランス語、スペイン語を話すことができる才女だったそうです。
長嶋茂雄さんと長嶋亜希子さんの出会いは1964年で、東京オリンピックの開催に先立ち、新聞社が企画した座談会で、当時コンパニオンを務めていた亜希子さんに長嶋茂雄さんが一目ぼれしたそうです。
そこから長嶋茂雄さんの猛アタックが始まり、その翌年の1965年に、お二人はめでたく結婚しています。
2004年には、長嶋茂雄さんが脳梗塞で倒れ、2007年には亜希子さんは、64歳という若さで逝去されています。
死因は心不全と報道されましたが、急な出来事だったことから、本当の死因は自殺だったのではないか?という噂が当時広まったそうです。
偉大すぎるプロ野球選手を支える妻としては、周囲からの視線など、精神的にもかなり辛かったのかもしれませんね。
長嶋茂雄の子供
長嶋茂雄さんと長嶋亜希子さんの間には男の子2人、女の子2人、合計4人のお子さんに恵まれています。
4人のお名前は以下の通りです。
- 長男:長嶋一茂
- 長女:長嶋有希
- 次女:長嶋三奈
- 次男:長嶋正興
長嶋一茂さんと長島三奈さんはテレビでご活躍されているので、お名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
長男:長嶋一茂
長男の長嶋一茂さんは、元プロ野球選手としてヤクルトスワローズなどでご活躍され、現在はタレントとしてバラエティ番組を中心に出演しています。
父親の影響もあり、小学校5年生の頃からリトルリーグに入団し、同じくプロ野球選手を目指していたそうですが、長嶋茂雄さんが偉大すぎて、報道が過熱していたそうです。
あまりの反響の大きさに、当時の一茂さんは耐え切れず、野球から離れ、中学では陸上部に所属していました。
しかし、野球を諦めきれずに、父親と同じ立教で野球がしたいと、当時の立教高校(現在は立教新座高校)に進学しています。
中学校で野球から離れていたため、野球部への入部当初はキャッチボールすることもままならなかったらしいです。
高校では死に物狂いで練習をして、高校2年生の頃にはチームの4番を任せられるほどのなりました。
甲子園出場は叶いませんでしたが、大学はそのまま系列校である立教大学に進学しています。
立教大学はプロ野球選手を多く輩出する強豪校ですが、1年生の頃からレギュラーを獲得して、4年生になるとチームのキャプテンとして4番を打ち、打率.340をマークしました。
その年、三塁手のベストナインとして選出されています。
日米大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれるなど、父親譲りの才能を開花させました。
1987年のドラフト会議では、ヤクルトスワローズと横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)から1位指名され、抽選の結果、ヤクルトスワローズが交渉権を獲得しました。
その後、契約金8,000万円、年俸840万円で契約しています。
ヤクルトスワローズで4年、金銭トレードで移籍した巨人で3年の通算7年間のプロ野球生活では、思い通りの成績を残すことができず、通算161安打、18本塁打、打率.210で現役を引退しました。
引退後は、タレントとしてバラエティ番組やドラマ、コメンテーターなどで活躍しています。
長女:長嶋有希
長女のお名前は『長嶋有希(ながしまあき)』さんです。
長嶋茂雄さんの第二子で、1967年生まれです。
有希さんは一般人ということで、詳細情報は明らかになってはいません。
長嶋茂雄さんのグッズ販売などの事業を展開している株式会社オフィスエヌの役員として活動されていました。
しかし、2010年に長嶋一茂さんとの衝突があり、役員を解任となっています。
次女:長嶋三奈
長嶋茂雄さんの第三子となるのが、長島三奈さんで、1968年に生まれています。
第三子ということや、長嶋茂雄さんの背番号が3番だったことに関連付けて三奈さんと名付けられたそうです。
三奈さんは日本大学文理学部哲学科をご卒業後、テレビ朝日に入社しています。
テレビ朝日では、主にスポーツキャスターとしてご活躍されていました。
特に熱闘甲子園のキャスターとして長年ご活躍されたのは有名ですよね。
熱闘甲子園と言えば、長島三奈さんという印象がとても強いですよね。
2014年からはフリーアナウンサーとして、様々はテレビ局で活動されています。
現在は、『株式会社オフィスエヌ』の代表を務められています。
次男:長嶋正興
長嶋茂雄さんの第四子となるのが、『長嶋正興(ながしままさおき)』さんです。
1970年生まれで、三奈さんの2歳下です。
正興さんは、米国留学も経験して、暁星国際学園高等学校に進学しています。
ご卒業後は、駒沢大学経済学部経済学科に進んでします。
1992年には、大学在学中にレーシングドライバーとして活動されています。
2001年10月28日に開催された全日本GT選手権第6戦(鈴鹿サーキット)では、見事優勝を成し遂げるなど、活躍されていました。
2023年現在、レーシングドライバーは引退して、環境管理しの資格を取得するなど、環境に関わる仕事をしています。
長嶋茂雄の資産や自宅は?嫁(妻)や子供(娘や息子)など家族構成を調査!まとめ
長嶋茂雄さんの資産や自宅の場所など調査しました。
また、奥さんや子供など家族構成についても紹介しました。